僕がこの街にひっかかってる理由。


 

■VOL.2 帰国一年後に。---1

 最後にあの街を訪ねてから早いものでもう1年が経った。
「去年の今日はケンジントン・ガーデンで昼寝してた頃だなー」とか「朝からユーロスターに乗ってパリへ行ったんだっけなー」などと、やはりどこかちょっと淋しい気持ちで思い出しながら過ごしていた。
 前回のロンドンで得た様々なものは、確かにそれからの僕のガソリンになってくれたと思う。

 ちょうどその1年を過ぎた時にある夢を見た。
 夢の中で僕は、規則的に慣れべられた椅子の一つに腰掛けて自分の足を見ていた。見覚えのある光景。それはヒースロー空港のヴァージン・アトランティックのロビーだった。
 あの日僕は“これからホント帰らなきゃいけないんだ...”と、その前にスタッフからもらった「Lovely Flight!」という言葉と笑顔だけがちょっとの慰めで、でもどうしようもない淋しさに襲われてボーッと静かに座ってボーディングまでの時間を過ごすしかなかった。その時の光景が夢の中で再現された。その他のロンドンの風景は何一つ出てこなくて、なぜかその時のことだけ。

 好きで行った国なのだから帰らなければならない日というのは最高にツラい。僕はホームシックになる体質(?)ではないし、仕事と資金さえ関係なければずっとこのまま死ぬまでここにいたって一向に構わないと思っているので(それができたら苦労しないけど)、本当に帰る日は憂鬱になる。
  帰る日が近づいてくるたびに、徐々に。

 だいぶ苦労して取った少しばかりの休暇を大好きな街で過ごす。
 旅行者には変わりないけれども、その数日の間でどうにかちょっとはその街の空気や流れに馴染んでくる。  ぎこちない英語も、クラブやパブや店で会話を交わすごとに徐々に“どうにかなって”くる。最初は地図とにらめっこしていたのに、だんだんと地理や路線図が頭の中に入ってくる。ブラックキャブを捕まえたりTUBEに乗るのがだんだんサマになってくる(気がする)。買い物の時に細かいコインを出すのがスムーズになってくる。セントポール寺院やロンドン塔とかの観光地だってもちろん行くけど、その合間にハイドパークの日陰で昼寝する余裕も出てきたり、ホテルで用意される食事や近所のレストランではなく、普通のスーパーマーケットで食材を買い込んだりするようになる。

 そうやって、“なんかロンドンの住人になったみたい”と、図々しくも楽しい錯覚に浸れる数日間。それを後押ししてくれるかのように、たまに他の観光客から英語で道を聞かれたりして。
 そんな錯覚のままに、確かにその時間の中では、あれは“自分の街”だったのだ。

 そこにとうとう差し出される現実。“お前は東京の住人なの! さぁさっさと帰って仕事だよ”って。
 確かに今この時点では僕はイギリス国内に立っている。でもあと数分でこの地から離れ、12時間飛び続けたら次に立つのは日本の上......。そんな、あのロビーで待機している時の何とも言えない感覚というのは本当に哀しいもの。
 自分の街から離れなければならないツラさは、おそらく何度味わっても慣れることはできないサイアクな時間だと思う。
 でも、それを越えなければ次は来てくれない。
 逆に、あの成田空港のチェックインカウンターで手続きをしている時や、大きな窓の外に色々な国へ飛び立っていく飛行機を眺めている時に感じる「さぁ、次に降り立つ先はもうイギリスだ! とっとと行こうぜ!」というメーターを振り切ってしまいそうなぐらいのハイな気持ち、ヒースロー空港に降り立った時のあの独特なポプリやハーブのような香りと埃っぽい臭いが混じった空気に包まれた瞬間泣きそうになってしまうことも、それを味わうためには、どうしたって乗り越えなきゃいけない。

 僕がその“次”を味わうことができるのは一体いつになるだろうか。決して遠い未来のことではないと思うし、少しでも近づけてやらなきゃいけない。それが、“東京の住人”に戻った自分を支えてくれている存在の正体だと思っている。

→BACK TO “BSTM”TOP.

 

ALL TEXT AND PHOTO BY LuLu@LOHDZ
All rights reserved.

 

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送