僕がこの街にひっかかってる理由。


 

■VOL.1 渡英前に。---1

 ロンドンへ帰ることが決まった。 今回、ここまでくるのに起きた事を、出発する前に記しておきたい。   
 2年前、1週間だけ過ごしたロンドンから帰ってきた僕は、翌日からすぐハードな仕事の毎日へ戻った。余韻に浸っている余裕もなく、毎日8時30分から夜中まで仕事をし、片道約2時間の通勤時間をこなしていた。
 でももちろん、片時もあの街のことが頭からなくなったことはない。
 問題なく現実に戻ったようなフリで頑張っていたが、やはりどこかにガタが来ていたらしかった。ちょうどその時、個人的にかなりヘヴィな問題をいくつか抱え込んでいたりもあって、精神的にもヤラれていた。
 それからしばらくして僕は倒れてしまった。朝、寝たままほぼ気絶状態だったので起きることができず、いい加減遅刻するぞと起こしに来た家族が気付いて救急車を呼ばれ、そのまま過労で病院に入ることになった。

 その間に僕は、自分なりに沢山のことを考え、現実を受け止めるだけの力を出そうと思った。そしてどうにかとりあえず現場復帰する。
 でもその頃、諸事情があって転職した先では仕事上の新たな問題が山積みだった。勤務は前に増してハードなものとなり、終電で帰れるか帰れないかの日々と、毎日イヤという程叩きつけられる、グラフィックデザイナーとしての自分のウデのなさを前に、また僕はまたツブれていた。

 そんな時、常に僕を支えてくれたのは、ロンドンへ一緒に行った人生最良の相棒の存在と、普段は逢えないけどどこかで繋がっている、ロンドンで結成された2号車8班3番テーブル(NURSERY旅行記参照)のメンバー、僕がイギリスに興味を持つキッカケとなったEINS・VIERというバンド。
 そして何よりも、ロンドンという街そのものだった。

 僕は、よく仕事中に「資料を捜しに行く」という名目で本屋へ行っては“イギリス”や“ロンドン”といった言葉の出ている本を、中身も見ずに買いあさった。時には4〜5万分も一気にカードを使ってしまったりすることがあった。自分でもヤバい状況にいるな、というのは分かりながら。
 現在、僕の部屋の一番大きな本棚の中は、全てあの街に関するもの、ガイドブック、文庫本からハードカバーから雑誌、CD-ROMやビデオで埋まっている。それはほとんど、その頃の“病気”のせいだ。だが、それで僕の心が安定することに間違いはなかった。あの街の風景をグラビアで見、本で読み、そして思い出すことで僕は落ち着き、あたたかい気持ちになった。

 いつの間にか僕は、自分の中で勝手にあの街を、ヨーロッパの一都市でしかないロンドンを、自分だけの特別な天国に作りかえていたらしいのだ。
 ノイローゼ状態だった。何度か倒れた。仕事先では何日も徹夜同然で必死になって作った作品を上司にヒドく貶され続けるだけ。その度に、僕はあの街へ逃げ込んだ。東京駅の中央線ホームのいつも同じ場所で何度か血迷いかけた。
 いつもは放任主義の家族も、さすがにヤバいんじゃないか、と思ったらしい。
 そんな日々は1年続き、その後とうとう僕は辞表を出してきた。

 僕は夢を諦めようと必死になっていた。もうこの業界からは足を洗おうと。そしてしばらく、ホントにロンドンへ行って全てを忘れてこようと計画していた。
 だが、そうはうまくいかない。一週間もたたずに、縁あって再就職が決まる。未練がましく、僕はまたグラフィックデザイナーに舞い戻った。同じ事の繰り返しになるのではないか、そんな不安の中、結局それは杞憂に終わった。もちろん、僕は単なる雇われデザイナーの身であって、同じデザイン業界でも華やかな舞台にいるわけではない。でも僕は自分が手がけた作品が地味ながらも世に出るという事を少しは楽しんでいる。

 しかし順調に思えたそんな最中、僕らをロンドンへ連れていってくれたEINS・VIERが突然解散した。
 それを起爆剤に、僕が小さい頃から抱えている、ある“恐怖”が自分の中でとてつもなく大きくなり出した。そのことについては、簡単に説明できるものじゃないけど、とにかく一歩も先に進めなくなるぐらいの恐怖に襲われてしまった。
 人間というものは......いや、とてつもなく甘えん坊でヒドく歪んだ妄想狂の僕だけなのかもしれないが、安心を手に入れると、途端に不安を自ら芽生えさせてしまう。
 僕の場合、ある程度自分のペースで仕事ができるようになり、相変わらずの良き仲間が居てくれるそんな毎日に、そこにポッカリと暗い穴が空いた。僕がよくあちこちで引用している、とあるマンガの中で主人公のノラ猫が家猫に言うセリフがある。
「持たないことは怖くないよ。ヘタに持つから怖くなるんだ」

 怖くてたまらなくなった日、しばらく落ち着いていた僕の病気は再発した。
 あの街へ逃げよう......。
 99年の冬ぐらいのことだった。

 年が明け2000年に突入した。僕は計画実行に向けて着実に行動を開始していた。1月中に航空券を手配し、3月になったら休職か退職願いを出す。
 しばらく姿を消してしまうためには、現実問題としてやはり金をどうにかかき集めなければならないし、現地で借りるフラットも手配しなければならない。そうこうしているうちに時間は流れ、僕は予定通り航空券の手配を終え、定期預金口座を一つ、解約した。

 そんなある夜、僕はあの時一緒行った相方との電話でロンドンへ行くことを重い気持ちで話していた。だって本当なら、次回行く時も相方と一緒に行きたかったから。それは叶わない。僕は一人でしばらくあの街へ逃げ込んで姿を消すつもりだったのだ。
 だがその会話の中で、彼女が僕に大切な事を気付かせてくれた。

 あの街がもし本当に自分の街になったとしたら、 そこは天国でも何でもないことに気付くハズ。
 逃げることはいけないことじゃない。時には必要なこと。 ロンドンを理想郷視するのも悪いことじゃない。
 でも今の気持ちのままで行けば、逃げ込むための特別の場所を失ってしまうよ。いつまでもあの街を大切にしたかったら、考えを改めた方がいい。
 それでもまだ行きたかったら、 気分転換のつもりでちょっと楽しんでおいでよ。

 
 これを書いているのは、ロンドン行きまであと数週間を切ったある日。
 仕事先には休職でも退職願いでもなくただの休暇届けを、そしてその他の準備も着実に進みあとは発つを待つのみ。
 そんなこんなで、みんなへ何をおみやげにしようかな? などと考えながら、そろそろクローゼットの奥からスーツケースを出してこようと思っている。

00.4月吉日 木椙ルル

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